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学校法人 浦山学園

連日拉致問題が刻々と伝えられ、重苦しく複雑な気持ちで 過ごしている中、小柴昌俊東大名誉教授のノーベル賞(物理学賞)受賞の朗報が日本全土に伝えられました。そして、その数日後には、富山県出身の田中耕一さ んが日本人として12番目のノーベル賞(化学賞)を受賞したニュースが日本全土を駆け巡りました。受賞のテレビインタビューに作業服のまま登場し、「あま りにも突然なことで何が何だか分からなかった」とぼくとつに話してくれた姿は『愚直なまでの誠実さ』を感じました。


 田中さんのマスコミ報道から、私が印象深く思った点を紹介します。

  • 田中耕一さんが6歳のとき、お母さんの春江さんが入院をしました。田中さんは秋の草花を摘んでお見舞いをしました。
  • 地元の新聞社の取材に快く応じてつぎのように応えたそうです。「父や母が懸命に夜遅くまで働く姿を見て「頑張れとか、着実にやっていけとかというような言葉は必要なく、自分自身がそういう環境に置かれていたため、今の『着実に、とことんまでやる』性分になった」と富山で過ごした自らの「原点」を振り返りました。
  • 田中さんの出身校の後輩たち(小・中・高)は「テレビで見たままの温厚な感じで人柄がよさそうな印象」「呼びかけたらお辞儀を返してくれた」とすばらしい先輩を誇りに思いながら、「自分たちも努力したい」と感じたそうです。
  • 会社に対価を求めるか」と質問されると「楽しみながら自分の好きなことを研究できた。それに対するお金なんて考えたことがない」と、今後も会社には何も求める考えがないことを強調しました。
  • 会社からの特別報奨金1千万円の使い道について質問されると「10万や20万ならデジカメを買うとか考えられるが、あまりにも金額が多くて全く分かりません」と応えました。



 このような田中さんの誠実な人柄、そしてサラリーマン研究者がノーベル賞の階段を一気に駆け上がったことで、田中さんは富山県民にそして日本国民に大きな夢を与えてくれました。



 明治の初期、大森貝塚の発掘で知られる米国人E・S・モースは「日本その日その日」にこう書いています。「驚くことに、私の国で重荷になっている善徳や 品性を、日本人は生まれながらに持っている。衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然物にたいする愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、 他人の感情についての思いやり...。これらは恵まれたた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。」田中さんのノーベル化学賞の受賞 はモースが表現した日本(人)文化をあらためて思い出させてくれました。



 スウェーデンの化学者ノーベルは、自分が発明したダイナマイトが戦争に利用されることに心を痛め、世界の平和や発展に尽くした人に贈る賞の創設を遺言に残しました。ノーベル(賞)は人へのいたわりや優しさが基本となっています。


 会見などを通して見えた愚直なまでの誠実さ素直さ。反面「常識にとらわれない」発想と粘り強さで物事に取り組む。21世紀の日本(人)の人間像として、今回のノーベル賞は教育の観点からも、考え方(生き方)と技術面(知識)の両面において、多くのことを示唆してくれました。



以 上

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2002年10月21日 |

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